精神障害の母のこと

私は九州の小さな田舎町出身で、そこには現在父と母が暮らしています。

普通であれば、最低でも年に1回くらいは帰省するのが普通ですが、私が帰るのは数年に1回くらい。長いと5、6年に一度しか帰らなかったこともあります。

親不孝だと言われるかもしれません。でも私は、母に会いたくないのです。

私の母親は、精神障害者です。

精神障害と聞くと、うつ病などを想像するかもしれませんが、うつ病よりももっと重いかもしれません。

病名は「統合神経症」。これは母に診てもらった医師に言われた病名ですが、病状を見る限り、統合失調症と同じなのではないかと思います。

「母がおかしい」と感じたのは私が小学校4、5年生の頃。

何がきっかけだったのか詳しいことは覚えていませんが、母と軽い口喧嘩になったときに、母がおかしなことを口走ったのです。

それは一般社会に反するような、言い換えれば常識に反するようなことをさらっと言ったのです。

残念ながら詳しい内容は覚えていないのですが、私はそのとき、自分の耳を疑いました。そして泣きながら抗議したのを覚えています。

その頃から、私の人生が狂い始めました。

母はだんだん、目に見えて行動がおかしくなっていきました。

もともと専業主婦だったので家にずっといることが多かったんですが、

昼間でもすぐ「疲れた」と言っては横になり、食事もまともに作ることがなくなって我が家の食事といえばホカ弁やカップ麺ばかり。一方で一日に何度も洗濯をし、買い物も頻繁に行きます。洋服は黒いものばかり着るようになりました。

そのくせタンスの中は、タグのついたままの新品の服が山のようにごちゃごちゃと積まれ、タンスの引き戸を開けるたびになだれが起きるような状態でした。部屋もゴミ屋敷のように散らかりっぱなしで、数え上げたらキリがありません。

そんな母に、私、3つ上の兄、そして父、つまり母以外の家族全員は猛抗議しました。

しかし母は逆ギレして、ますます意固地になっておかしな行動を取り続けるのでした。

その頃父は大坂に単身赴任しており、ちょうど母の異変を感じ始めた頃と時期がかぶっています。

父が月に2回ほど帰るたびに、家がおかしなことになっていたので、父も大変だったと思います。

私が中学に上がる頃には、母の言動は更におかしくなります。

昼間でも家中のカーテンを閉めきり、洗濯物は決して外に干そうとしません。

そして、ありもしないようなことで隣近所の悪口を言うようになりました。

母と、母の実親である祖父母の関係が悪化していたため、その頃には私たち家族は別居をして、私も1度中学を転校していました。家がそんな状態だったので、学校で明るく笑えるはずもありません。私はいじめに遭うようになり、家と学校で二重に苦しみました。

母は次第に、自分の行動を非難する父に対して暴力を振るうようになります。

毎日深夜早朝に関わらず、罵声が飛び交っていました。母が包丁を持ち出し、切り付けるような仕草をすることもありました。

私は自分のことにも精一杯だったので、父をあまり助けてあげられなかったことを今でも悔やんでいます。

何度か私は父と一緒に精神病院や町役所の専門家に相談に行き、強制的に入院させることにしました。このままでは自分たちの身も危ないと感じたからです。

運命の日。時刻は深夜で、例によって母は父に暴言を吐きながら暴れていました。私はいつも、父が殺されてしまう不安に苛まれて過ごしてきました。

その不安は、玄関のインターホンが鳴ったときに、ようやく終わりを告げようとしていました。

父がドアを開けると警察の方が2、3人入って来ました。

あらかじめ暴れることを想定して、父が協力を頼んでいたのです。

母は「帰って下さい!私は何もしていない!何もしていない!」と叫びながら暴れましたが、最後には両腕を抱えながらもなんとかパトカーに乗せることができました。

私はこのときの様子を、直接見たわけではありません。

二階の自分の部屋で、母の叫び声や警官のいさめる声を聞きながら、布団の中で震えていました。でも直接見なくても、手に取るように下の階で何が起きているのか分かりました。

車のドアが閉まる音や人の声がだんだんと遠くに聞こえたとき、トントントンと静かに階段を上ってくる父の足音が聞こえました。

私は布団から出て、ガバッと起きました。

「もう、大丈夫だ。病院に、連れていかれたよ」

私の部屋に入ってきた父は静かにそう言いました。

疲れて、やつれているように見えました。

「かわいそうなことしたな。あんなに無理矢理・・・」

意外にも父はそう呟きました。私はといえば最大の危険因子が排除されたことで安堵しました。

冷たいかもしれませんが、今まで父や私たちに対して行ってきた行動を考えると、とてもかわいそうなどとは思えなかったのです。

そして、しばらくは家庭に静けさが戻りました。

少しずつではありましたが、私も笑顔を取り戻すようになりました。

精神科に入院した母に会いに行くと、薬の影響もあってか、別人のように穏やかでした。私たちに話しかけるときも、まるで小さい子供に話すようで声質まで変わっていました。

ただ、それも入院中と、薬を飲んでいる間だけでした。

退院してしばらくすると薬を飲まなくなり、以前のような頑固な性格が出始めました。

私自身はなるべく早くに母の元を立ちたいと、高校を卒業するとすぐに上京しました。父には申し訳なかったのですが、これ以上自分の人生を台無しにされたくなかったのです。

現在は父に間接的に話を聞いているだけなのですが、やはり以前のような奇妙な行動が目立つとのこと。

暴れるようなことはないようですが、年老いた父のことを考えると胸が痛むのも事実です。どうにかしなければ、という思いと、母にはもう関わりたくないという思いで、今も私の心は揺れています。